修羅場

修羅場と聞いて何を思い浮かべますか、
不倫とか三角関係や凄惨な場面ですか。

能の世界では、修羅道に落ちた武将は、その死後も永遠に戦い続けるそうです。
戦い続けなければ勝てないと思っている人は、死後も戦い続けるそうです。

宇宙の真理は愛だそうです。
ビッグバン以前の宇宙は一つだったということです。
ビッグバン理論が正しければ、その通りでしょう。

ワンネスという言い方があります。
ワン自体が一つという名詞ですから、さらに名詞の接尾語のネスを付けて?
統一とか調和とか一致という意味になります。

宇宙が元々一つであるのなら、これ以上の一つはないワンネスです。
そして、調和するという意味を含む。

愛とは調和であり宇宙であると言えるように思います。


修羅は阿修羅の略語です。
私は、興福寺の阿修羅になんとも言えない哀愁を感じます。
阿修羅は無限に戦う戦士です。

ところが、不動明王のような激しい怒りの表情をしていません。
ちなみに不動明王は大日如来の化身と言われています。
大日とは、大阪守口市の地名でもありますが、
宇宙そのものを表してます。



菩薩と如来の違い

菩薩とは、日本語では修行者です。
つまりまだ悟りを開けずに修行をされている身分です。
そして如来は悟りを開いた真の仏です。
観音菩薩に地蔵菩薩、弥勒菩薩、仏様のように思いますが、まだ悟りを開かれてない方々です。
弥勒菩薩は、お釈迦様の入滅後、56億7千万年後に如来となり私たち人間を救いに来られるそうです。
それが弥勒如来です。


菩薩像は、割と宝飾品を身にまとっている仏像が多いです。
一方、如来像は宝飾品を一切まとっていません。
ただ一つの例外が大日如来です。
派手な冠に忍者のような智拳印、宝飾品も身に纏っています。
大日とは、サンスクリット語で、マハーヴァイローチャナ
マハーは、超越したという意味です。
ヴァイローチャナは、ちょっと難しいのですが、
私の解釈では、「この世を照らす全ての光」でしょうか。

奈良の大仏さまは、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)です。
毘盧舎那はヴァイローチャナの和訳です。
つまり、この世の全てを照らす光そのものの仏様です。

大日とは、毘盧舎那を超越した存在です。

ですから、特に密教では、仏の中の仏です。
その仏様が、宝飾品に身をまとい派手なお姿です。
その化身が怒りの不動明王

戦い続けるはずの戦士の阿修羅が、なんとも哀愁に満ちた表情です。


これらは何を意味しているのでしょうか。


私たちは、真理に対して真逆に見ている。
ということではないだろうか? と思います。

その根拠は、
興福寺の阿修羅像です。

無限に戦い続けるその戦士を表すその尊顔に
怒りの感情を微塵にも感じられません。

ご覧ください。

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いかがでしょうか。


PS
かなり前に書きましたが、

帰阪した際に興福寺の阿修羅を見に行こうと
奈良国立博物館に入りました。

この頃息子は赤ちゃんで、当時、幼稚園児の娘と二人で行きました。

実家に帰るとか娘と二人で旅行とかどうでも良いのです。
阿修羅に会いたかった💓

ところが、博物館入った途端に娘が言い放った言葉
「お父さん、帰ろ」

なんでやねん!
ふざけるなこのガキ〜(笑)

現在、小学6年の娘、少しは成長できてるんやろか(笑)

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