仏像

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仏像と仏教思想に詳しい友人が、阿修羅について教えてくれたので、ちょっとひつこいようですが、阿修羅についてもう少し書きたいと思います。

阿修羅は、帝釈天と戦っていたというのは述べた通りですが、戦いに明け暮れていた中で、
釈尊と出会い、今までの行為を懺悔して仏道を守ることを誓ったそうです。
ですから、阿修羅の表情は「懺悔」を表しているそうです。

釈尊は実際に存在した人物ですが、阿修羅は思想上の人物というより神のようなものですから、
実際の話ではないことは確かです。
しかし、この像の作者がこの寓話から「懺悔」の表情を表現したのならその通りと思います。

ただ、悔い改めたのなら、もう少し晴れやかな表情をしていても良いような気がしますが、
まだ何か心の中に秘めたものがあるようにも思います。

当然、美術品にはその作者の意図があるわけで、しかしながら、その説明書きがあるわけではないので、見るものの解釈はそれぞれにあり、どれが正しいということはないでしょう。

それがまた趣深いようにも思います。

奈良や京都には、国宝級の仏像が多数安置されており、そんなに高額ではない拝観料で目の当たりにすることができます。

仏教においてこの世に存在したのは釈尊とその弟子たちであり、多くの如来や菩薩、天部や明王は、現世では実在しない人を超越した存在です。
不動明王は日本でかなり信仰の深い仏ですが、実物がウロウロしていたら怖いですよね。
青緑色の体をしていて、縄で縛られ斬り殺され、背中の炎で焼き消されてしまいます。

他の仏は、そこまで気になりませんが、不動明王は実際にいるような気がします。
不動明王や諸仏には、それぞれに「真言(マントラ)」や「印」があります。
不動明王のマントラの霊力は、かなり強いと思います。

今度、大阪に行ったら水掛不動尊にお参りに行きたいと思いますが、相当強いエネルギーがあるんじゃないかなと思います。

私は別に霊能力者ではありませんが、冗談ではなく、そういう霊力なるものはあると感じてます。感じているだけなので、これを論理的に説明することはできません。
しかし、論理的でないからウソだとか存在しないというのも違うと思います。

特に量子力学の世界では、論理的に説明できないが、実験としては何度も実証されていることがあります。
例えば、肉親とか親しい人の目に強めの光を当てると、離れているその別の人の網膜にも光を受けた反応が出るというのは有名です。
物理学者でも医学博士でも、なんでそうなるのか、この現象の説明はできないそうです。

ですから話は戻って、阿修羅もいるんだろうなと思います。
懺悔でも良いと思いますが、私は阿修羅の悲しみに満ちた決意に対して心が惹かれます。


これ程も心惹かれる仏像が、京都や奈良を中心に日本全国に残されているのは奇跡だと思います。そして、それを想像した先人たちの魂とそれを守ってきた努力に感服します。

京都などを訪れてた時は、そういうのもご参考にしてみてください。
今は、京都は外国人観光客にあふれ、ちょっと趣が損なわれているという話がありますが、


日本人の侘び寂びに根付いた、先人たちの魂と触れ合う意識を持って寺社を拝観するのかどうかで、その趣が大きく違ってくるように思います。
そこには単なる美術品としての価値を超えたものがあるのです。


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弘法大師は、悟りを開く過程で修行として大事なのは、「身・口・意」の行を浄よと説きました。

簡単に言えば、身は、姿勢を整える。口は、(マントラやお経などを)唱える。意は、思考を正しくする。

でしょうか。

お経をアファメーションに変えれば、有名なスピリチュアル的な指導者が説明していることとほぼ同義のことを平安時代に弘法大師は説いてます。

仏像はその宗教的にあるいは、スピリチュアル的に抽象化された概念をその具体的なお姿を通して、私たちの心の中に人として生きる意味を問いかけているようにも思います。

仏像一つとっても仏教思想の奥深さが見て取れます。
それを具体的に表そうと試みたのが、東寺の立体曼荼羅と言われます。
つい最近まで15体の国宝仏が、東京博物館まで出張に行かれてたようですが、今は東寺講堂に戻ってこられたようです。


東寺(立体曼荼羅)のリンクも見てみてください。
(ここには阿修羅はいません。帝釈天はいます、象にまたがり目をつぶってます。半眼かな)

https://toji.or.jp/mandala/

合掌

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