逆さに見えている世の中(続き)

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<神社でお願いをしてはいけない理由>

神社でお願いをしてはいけないと言う人はちょいちょい見かけますが、
その理由を明確に言っている人はあまり見ません。
地獄に落ちるとか試練が与えられると言うのは直接的な説明にはなってないように思います。

ここからは私の仮説です。
このような話はあくまでも仮説です。
証明ができないからです。あるいは法律に基づいていないからです。
法律に基づかないには国からの認可を得たないと言うことも含みます。
宗教を生業とされている方はいざ知らず、このようなことに一般人が断言するのはいかがなものかと思いますし、さらにお金を得る、つまり営業するのは違法行為と言われてもしかたないかなと思います。

話を戻します。
神社でお願いしてはいけない理由の前提として神は存在する。
神は常に無条件で私たちに力を与えてくれていると言うことです。
それを逆に言えば、神なる存在がなければ、私たちは一瞬たりとも生きていくことができないと言うことになります。

例えば、太陽が神様としましょう。日本では天照大神です。ギリシャ神話ではアポロンでしょうか。曇りや雨で太陽が見えなくても太陽そのものが無くなった訳ではありません。

アマテラスが岩戸にお隠れになってもアメノウズメがストリップで他の神々が大喜びで、アマテラスが岩戸を少し開けたのでアメノタヂカラオに引き出されて日本の明るさは取り戻されました。

太陽は命のおおもとの存在ですが、他にも八百万の神々が私たちから日々の生活を支えてもらってます。
昔から日本はそのような思想です。
神の存在は別にして実際そうであると考えるのがごく自然のように思います。
全てのものに神が宿っていると言うのが日本の古来からの宗教的思想です。

そう考えたら常に神々は人間に恩恵を与えているのに神社に来てまだお願いするのか。
神様も呆れるでしょう。
人間で考えたら、いつも助けてあげているのに何の感謝の意も示さず、助けてくださいといつもお願いばかりされたら、しまいに相手にしたくなくなりますよね(笑)

しかし、私たちは無意識にそのようなことを考えてしまっているのです。
ムシのよいことをつい考えてしまっているのです。
生かされていることの感謝を忘れてしまうのです。

生きているのが当たり前になり、
文化的な生活を営めていることが当たり前になり、
国から国民として保障されてることが当たり前になり、
会社から多大な恩恵を得ていることが当たり前になり、
人から助けてもらっていることが当たり前になり、
神様から助けてもらっていることも当たり前になり、

ついつい不遜になってしまいます。
人の悪口や陰口はその最たるものかもしれません。
そう言われると身につまされるところがありますが、
誰もがついついやってしまう悪行です。

人の悪口や陰口を言ったら、懲役刑を受けると言う法律ができたら、
間違いなく全員が前科者になるでしょう。
そんなアホな法律はできないでしょうが、
逆にそうならないから難しいのかもしれません。

まずは反省をしましょう。

そして神社に行ったら、お願いではなく感謝をするということです。
神社で願掛けを行う、これも逆さまのことを普通にやってしまっていることの一つだと思います。


間も無く初詣の時期ですが、
私は毎年50年以上のあいだ初詣で、今年も仕事や家庭、あるいは勉強が上手くいくようにお願いをしてきました。

来年は、「いつもありがとうございます」
と感謝の意を表したいと思います。

ついでに神道的には、参拝の際に生年月日と住所と氏名をお伝えしてから感謝の意を表すそうです。

お賽銭は?
神様にはお金は必要ないと思いますが、神社を管理している方には必要ですので、それなりに(笑)


神恩感謝!


つづく
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