逆さに見えている世の中(その3)

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<祈りの意味>

前回神社参拝について書きましたが、
同じような意味で祈りがあります。

成功を祈るとか、ご冥福をお祈りしますとか言いますが、その祈りは神仏に対して祈っていると言うことでしょう。
簡単に使いますが、実際の祈祷の意味はかなり難しいと思います。

神社でお願いをしてはいけないように、神社でなくても自分の願望を祈ってはいけないのでしょうか?

何か自分の願い事を叶えようと思うと、他人に働きかけることも含めて何らかの行動をします。調べたり勉強をしたり、情報発信を行ったり、体や心を鍛えたり、あるスキルを身につけるために練習したりです。
程度の差はあれ何らかのことをします。

恐らく自分に対して何かを願ったり希望をしたら、その瞬間に願いが神に届いてその行動がもたらされるのでしょう。
ですから、身構えて自分の願望を祈らなくても良いというのが正しい解釈ではないかと思います。
身構えて神に自分の成功を祈るとそれが執着となって逆に上手くいきにくくなるのかなと思います。

一方、自分以外の他人に対しては、本当は自分の思考は届きません。
相手の幸福を願ってもその幸福を実現するのはその人自身です。
逆に相手を恨んでも基本的には相手には届きません。
相手を恨んでも憎んでも本当は意味がないどころか自分に返ってきます。

ですから他人の幸福は自分ではどうしようもないので、神仏に祈るということになるのではないかと思います。
ただ私はそれすら他人に対しては意味がないのではないかと思います。

でも他人の幸福を祈ることは良いことだと思ってます。
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なぜなら、他人への祈りは自分のために行っていると考えるからです。
なぜそう考えるのか、他人への祈りにより自分の願望に対する執着が弱まってくるからです。

私たちの不幸の始まりは執着心にあります。
あらゆる執着を手放すことができれば幸福になれるというのがブッダの教えです。
他人への祈りはその執着心を手放す一つの方法ではないかと思います。
自分の幸せを祈れば幸福から遠のき、他人の幸せを祈ると他人の幸福はいざ知らず、自分の幸福は近づくという、これも逆さまに見えていることではないかと思います。

じゃ、誰の幸福を祈れば良いのか。
世界の平和とか人類の救済とかは大きすぎてイメージが湧きません。
天皇は日本国民の幸福を常に祈られています。それが天皇としてのお仕事です。
凡人は、そんな大それたことではなく、身近な人をイメージするのが良いでしょう。

父や母や嫁さんや旦那さん子供や兄弟の幸福を祈ります。
私の父は他界していますので、幸福ではなく冥福を祈ります。
肉親の幸福は自分の幸福に直結するので一番イメージがしやすいですね。

仕事の同僚や取引業者でお世話になっている人なども良いかと思います。
できれば、意地悪な上司やできの悪い部下などの幸福を祈ってください。
上司や部下の悪口を言うより、よほどスッキリします。

嘘だろと思われてもこれも逆さま効果だと思います(笑)

多分このスッキリした感覚が自分の思考を徐々に変えていきます。
思考が変われば行動が変わる。
行動が変われば人生が変わる。

なんてのはよく聞きますが、その前に言葉があります。
言葉使いを変えるには、やっぱり思考を変えないといけません。

その有効な手段が他者への幸福の祈りです。
心の底からそう考えなくても、祈り続けると他者が幸福になっていくかどうかはわかりませんが、自分の幸福感は上がってきます。
自分の幸福感が上がってくると、他者への幸福への祈りに心がこもってきます。

情けは人のためにならずということでしょうか。


つづく

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