勘が働く

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勘が働く時があります。
そんなに大したことでなくても、例えば電話が鳴っていて手が離せない時でも、少し無理して出たら、結果的に出て良かった場合があります。
その逆もあります。
いつもなら出ているような電話も何らかの都合で後回しにして、後から掛かってきた時に出たら、それがジャストタイミングだったりする。

同じ電話に出ると言う行為でも、論理的に考えて行っているわけではありませんが、こんな小さなことでも、その後の結果が大きく変わってくる時があります。

人間は、割と良いことは記憶に残りにくいものですが、悪いことは結構覚えています。
生存本能として、悪いことを繰り返さないような学習機能なのでしょうが、
感覚的にですが、起きていることで悪いことと良いことの比率は、圧倒的に良いことの方が多いと思います。

そんなことはない、また同様のことが起きて嫌な気分になってしまった。損をしてしまった。
と言う印象の方が多いかもしれませんが、

良いことというのは、いつ間にか当たり前になって印象に残らないだけのように思います。
障害者の方や健常者でもよほど高齢の方でない限り、歩くということなんて何ということのない動作です。
しかし、この歩くを学習するのにどれだけ私たちは転倒を繰り返してきたことでしょう。
泣きながら、痛い思いをしながらも決して私たちは諦めませんでした。

この地上で完全に脊椎を垂直にして、二足歩行できる動物は人間しかいません。
地球の重力などを考えたら、相当な困難な技です。
しかし、私たちは、これをわずか1年も足らずに達成しているのです。

高齢者や障害者の方で車椅子の使用を余儀なくされている方からしたら、健常者の私たちはどれほど恵まれていることでしょう。
しかし、普段の生活でこのことにありがたいとは思っていません。

良いことに目を向ければ、良いことがどんどん見えてきます。
見えてくると現実が良い方向に向かっていきます。

逆に悪いことばかり考えていたら、文句の言いたくなることばかり目に付き、クレーマーのような状態になり、決してそれは賢明な生き方ではないように思います。

一度良い現実のスパイラルに入ると、「ちょっと、これをやってみようか」と思って行動すると結果的にそれがバッチリのタイミングだったということが往々にあります。
逆に「これをやってみようかな」と思って、何らかの事情で取りやめたら、やらなくて正解だったということもあります。

いわゆる引き寄せの法則かもしれませんが、
全くこれは論理的に説明ができないのですが、実際そのようになっていきます。


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どれだけ営業活動を頑張っても完璧なプレゼンをしても、全く契約までこぎつけられないこともありますし、いいところまで行ったのに結局ダメだったことも良くあります。
ですが、逆に全くの偶然としか思えないようなことが何度も重なって、たまたまその会社の社長さんと面会ができて、一目で社長さんに気に入ってもらい、こちらが思っていたよりも好条件で契約が取れることもあります。

この違いって何なのでしょうか?
こういうこともある。そういうこともあるではなく、これらは必然のように思います。
この違いを分けるもの、そうなることのきっかけやスタートは何でしょう?

多分、気分良く日々を生きていくということのように思います。
私は恵まれている。私は幸せだ。当たり前のことに感謝する。この世に生を受けた奇跡に…
これ以上のことがあるのだろうか、とありがたく感じる。


以前、神社でお願いをしてはいけないという記事を書きましたが、それはお願いしなくても神様は、私たちをいつでも助けてくださっているということと説明しました。

もう一歩踏み込んで説明を試みると、こうではないでしょうか。

何か不満があって、理想の自分になりたいと思った。
そのとき、神様にお願いするのではなく神様と約束をするということのように思います。
「私は、私の考える理想の私になることを誓います」と神様にお伝えするのです。
恐らく、神様はにこっこりと微笑まれることでしょう。
そして、そのような子供には、全力で支援をしてくれると思います。

これは何ら科学的根拠のない話ですが、勘が働くことを考えたら、そうとしか思えないのです。


今回のお話は、いかがだったでしょうか。

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